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smile 自然の散歩道

華麗なる一族が住んでいた・・・?

おことわり
 EXCITE ブログの サイト側のメンテナンスの不都合により
画像の表示が遅くなることがあります。ご迷惑をおかけします。
実は、私も、アップに時間がかかり困っています。
EXCITE君、しっかり、表示してね !! 


 先日、薔薇園と菖蒲園に行き、ブログにもアップしましたが、
この公園は須磨離宮公園のなかにあります。
この須磨離宮公園は由緒ある公園でもあり、
自分の覚書のためにも、ちょっとその歴史をたどっておきたいと思い
長くなりますが書いてみました。

もともとは浄土真宗本願寺派、須磨の西本願寺貫主大谷光瑞の別荘を
宮内省が買い取り、1914年、天皇の離宮(武庫離宮)としました。
明治天皇は完成を待たずして崩御され、大正天皇は3回ほど来られたことがあります。
また、1935年には満州国皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)がこの
離宮に駐泊したといわれています。

近くには、天皇の行幸に因んだ「行幸町」という地名が残っています。

1945年には米軍の空襲で御殿が全焼、まもなくしていったん神戸市に
下賜された。そして翌年には進駐軍の射撃演習場として接収され、
その10年後の1956年に進駐軍の接収が解除され、神戸市に返還されました。

そして1958年、皇太子殿下(今上天皇)のご成婚記念事業として公園造成に着手、
1967年に離宮公園が正式に開園しました。庭の作り方はベルサイユ宮殿やイタリアの
花壇を参考にし、噴水などの水部分はデンマークのチボリ公園を参考にしたそうです。
近年の王侯貴族の薔薇を集めた薔薇園はそのイメージを更に印象的なものにしている
といえましょう。

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その後、神戸市は、1973年に、天井川を挟んで接する元神戸銀行頭取の
「岡崎邸」の広大な敷地5,2ヘクタールを買収し植物園にしました。

この岡崎財閥が山崎豊子さんの小説「華麗なる一族」のモデルとうわさ
された。主人公の銀行頭取・万俵大介の家は播州の大地主出身で、
大介の父の代に回船業や製鋼、銀行業に進出した。岡崎家が神戸で
財閥を築いた経緯や、オーナー頭取だった神戸銀行が山陽特殊製鋼の
メーンバンクだったことなどが小説の設定と似ており、いつしか世間が
小説の万俵家を現実の岡崎家と重ねたもので、
作者の山崎豊子さんは岡崎家モデル説を否定しています。

真偽はともかく、夢を誘うお話。ちょっとご紹介したいと思います。

かつては豪壮な「本宅」のれんが造りの洋館と日本家屋が丘の上
に並んでいた。しかし1945年3月、空襲でともども焼け、現在の家屋は
戦後に建て直したものです。門の脇にあり、「中宅」と呼ばれた洋館も
95年の阪神大震災で全壊しました。

この日本家屋は、戦後立て直したもので、現存する唯一の岡崎邸の
面影を伝えるもので現在、お茶会などをする際の和室に利用されています。

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また、こちらの観賞用温室には、かって洋館が建っていました。

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温室内部
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この北部分にはテニスコートがあったそうで、
これがその西隣の「緑の滝」と池。

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日本家屋前の芝生からは
遥かに瀬戸内を航海する船の姿を臨むことができますが、
近年、マンションが立ち並び、高速道路も建設されたことから、
見晴らしは、あまりよくありません。

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岡崎邸正門が、現在植物園の入り口(離宮公園東門)となっているところです。

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門をはいって左手の石灯籠が当時の面影を語っているような気がします。

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正面には小さな滝と池があり、

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車が通れる広い道路沿いは大きな木が
空高く伸び、「もみじの滝」は当時そのままの雰囲気です。

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この東側は、現在、梅林があり、その南側斜面に
近頃、アジサイ園も作り、少しずつ成長させているところです。

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栄枯盛衰のことわりといいますが、かって、栄えた岡崎家の邸内では庭師、
運転手、女中ら60人前後が働いていて、小説では女性でしたが、実際は男性
の執事がいて、冠婚葬祭や宮家の来訪の際、もてなしの準備を指揮した。
手入れの行き届いた芝の上で、財界人や華族を招いてパーティーが開かれた
といいますが、今は市民の憩いの広場になっています。

日本家屋前の芝生
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一族の系譜はこちらのサイトで見ることができます。→こちら

これでみると、神戸を代表する子ども服メーカー「ファミリア」
も一族の経営のようで、良質の子供服を提供する会社として
よく知られていますが、これからも、神戸の企業として
人々に愛され、長く続いてほしいですね。
by mornbell117 | 2007-06-13 08:02
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